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ジャダブプル大の落書き論争、消した壁にまた絵が現れた
インド・コルカタのジャダブプル大学(Jadavpur University)で、キャンパスの壁に書かれた落書きをめぐり大学当局と学生が対立している。フリー・プレス・ジャーナル(Free Press Journal)によると、チランジブ・バタチャリヤ(Chiranjib Bhattacharya)学長は2026年9月2日に公開書簡を出し、壁に書く代わりにソーシャルメディアで意見を述べるよう学生に呼びかけた。大学が問題視された文言を白く塗りつぶした直後、同じ壁面に新しい落書きが現れたことを受けての対応だった。
何が起きたのか
発端は大学の外にあった。フリー・プレス・ジャーナルは、西ベンガル州のスベンドゥ・アディカリ(Suvendu Adhikari)州首相が、同大学人文学部の建物の壁の文言を問題視したと伝えている。指摘された文言には、武装闘争の指導者を称えるスローガンや、カシミールの独立を支持する文言が含まれていた。
その後、大学側が該当箇所を白く塗りつぶした。しかし数日のうちに同じ壁面に新しい落書きが現れた。インドの週刊誌ザ・ウィーク(The Week)は、新たに書かれた内容にパレスチナ支持のメッセージやカール・マルクス、ホー・チ・ミンの引用が含まれ、左派系と右派系の学生団体がそれぞれ別の壁面を使ってきたと報じている。
学長が求めたこと
バタチャリヤ学長の書簡は禁止ではなく自制の要請に近い。学長は同大学が長く自由な思考と表現の伝統を守ってきたと認めたうえで、キャンパスは「清潔で平和で美しい」状態に保たれるべきだと述べている。二つを同時に守ろう、というのが書簡の主旨だ。
論点は、代替手段として示されたソーシャルメディアにある。大学側から見れば、それは物理的な痕跡を残さない表現手段だ。逆に壁に書く側にとっては、その物理的な痕跡、つまり特定の場所を占めるという事実そのものがメッセージの一部である。同じ一文でも、キャンパス中央の壁に3メートルの大きさで書かれている場合と、投稿として流れる場合とでは働き方が違う。
消しても描き直される構造
ジャダブプル大で起きていることは、ストリートアート全般で繰り返されてきた形だ。壁を消す行為は壁を空にしない。白く塗られた面は、次に描く者にとって最も目立つ白紙になる。塗り跡が残る壁は、そこに何かがあったという事実まで一緒に見せてしまう。
この種の対立には、性質の異なる二つの問いが重なっている。一つは特定の文言の内容が適切かという問いであり、もう一つはその壁を誰が使えるのかという問いだ。州政府と大学側は前者から出発し、塗り直した学生は後者で答えた。どちらもまだ相手の問いには答えていない。
公認の壁という折衷案
多くの都市はこの摩擦を、描いてよい面を用意することで和らげてきた。自治体が特定の壁を開放したり、再開発予定地の仮囲いを期間限定で使わせたりする方式だ。日本でも、公認ウォールやイベント期間中の仮設面という形で同じ発想の運用が試みられてきた。
利点ははっきりしている。消しては描く消耗戦が減る。限界も同じくらいはっきりしている。指定された面でのみ許されるということは、どこに描くかを決める権限が描き手の側にないという意味であり、場所選びが表現の半分を占める作品にとっては制約になる。ジャダブプル大の状況は、その折衷案がないときに何が起きるかを示している。
これから見るべき点
この件で未決なのは個々の文言ではなくルールの方だ。指定区域を設ける方向に進むのか、事案ごとの判断が続くのかで、キャンパスの壁の性格は変わる。大学が表現の伝統と管理責任の両方に言及した以上、次の焦点はその間のどこに線を引くかになる可能性が高い。
Wallscapeは作品を、それが実際に存在する壁の位置とともに記録している。どの街のどの面に何が描かれているかはWallscapeのマップで確認できる。